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 ぶらり歩き   
 34. 出雲大社を訪ねて (2)   平成26年5月1日
 柱立ての隣の神苑には神楽舞台が仮設され、ゴールデンウィークを挟んで、平成の大遷宮の奉祝事業の一環として、地元の保存会が交代で神楽舞を披露している。本日は見々久神楽保存者会による三熊という一人舞(写真5)が演じられていた。面の表情は髭を生やして怖そうであるが、舞い自体は同じ動作を繰り返し、時々観客に向けてお尻を振る愛嬌のある仕草に、観客席の子供が笑いながらその真似をする様子は微笑ましく、この場の人々が平和な気分に包まれたように感じた。

 松並木の参道が途切れる辺りにムスビの御神像(写真6)が建てられている。これは神話で伝えられている、大国主命が日本海の荒波の彼方から現れた幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)を授けられ、結びの神となった場面を表わした像である。幸魂というのは幸せをもたらす力、奇魂は尋常でない不幸せ表す力のような印象を受けるが、音に意味があるようで幸は「さき」、奇は「くし」とルビされているとおり、幸魂は物事をばらばらにする力、奇魂は櫛で乱れた髪を整えるという物事をまとめる力を表わしている。そのような幸魂と奇魂の力を授けられた大国主命は国を統一する力を与えられたということになる。

 ムスビの御神像の先に建つ四の鳥居(銅鳥居)(写真7)を潜ると、正面ではなく少し左の方に拝殿が配置されている。銅鳥居は国の重要文化財に指定されており、寛文6年(1666年)に毛利綱広が寄進したものであるが、元は天正8年(1580年)に毛利輝元が寄進したことにはじまる。戦国時代以降、中国地方の雄は毛利氏の長州藩であることに照らせば寄進も当然のことといえるが、毛利氏も徳川幕府に服従を強いられたことを思うと、大国主命の出雲国と同じ運命を共有していると見えなくもない。。因みに、一の鳥居は鉄筋コンクリート製、二の鳥居は木製、三の鳥居は鉄製で造られており、それぞれ異なる材料を用いている。

 拝殿(写真8)は昭和34年(1959年)に総檜造りの建物として再建され、平成の大遷宮中には大国主命の仮の住まいとなっていた。拝殿の注連縄(しめなわ)は長さ8m、重さ1.5t、太さ3mもあり、一般の神社とは左右逆に飾られている。梅原猛「葬られた王朝 古代出雲の謎を解く」などの解釈にあるように、大和朝廷に屈服させられた大国主命の怨霊の鎮魂に関係しているのかもしれない。
  
    

写真5 神楽舞 三熊

写真6 ムスビの御神像 

写真7 四の鳥居

写真8 出雲大社拝殿

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